yoshtakiの日記

国際結婚、子育て日記、アメリカ暮らし、パートタイムキッズモデル

初めまして

初めまして。よしです。

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さて、自己紹介。私のストーリーは、栃木の那須塩原市で始まりました。

子供のころから外国に憧れて、15歳で本格的にペンパルをやり始め、自己流で英語を、映画や手紙を書きながら勉強。18歳で横須賀の米軍基地遊びを覚えて、21歳で、米軍アメリカ人と、駆け落ち同様で結婚。かわいい娘を授かって、22で渡米。

アメリカでコミュニティカレッジで勉強しながら、仕事、子育て、そしてついに短大資格をゲット。しかし、喧嘩がたえなかったのと、元旦那のドラッグ使用に嫌気をさして、間もなく離婚。彼には娘に二度と会えないように日本に帰れ、などと意地悪され、いやいやながらも娘と一緒にアメリカにいられるように、アメリカ市民権をゲット。本当は日本に帰りたかったけれど、アメリカを父親の溶解なしに娘とでようとしたら、誘拐として逮捕されてしまうので、迷いに迷った挙句、アメリカ市民権を取りました。

アメリカのノースキャロナイナの田舎町では、まだまだ差別もあって、差別されたり意地悪されたりはしょっちゅうのアメリカ暮らし。娘を抱えて、シングルマザーしながら、仕事を2、3つ、一日14時間、休みなしでの20-30代でした。勉強、子育てしながら、病院で看護婦秘書や、医者のオフィスで医療事務。

がむしゃらに頑張ってきたけれど、もう一人子供がどうしても欲しくて、よかれと思ってつきあって息子を授かった人、子供ができて人が変わった...性的、精神的、毎日虐待され、一度は人生を諦めた。母にも電話できない日々も、何年もあった。18から引っ越しを20+回も繰り返し、どん底も味わった。つらくて何も覚えていない日々もあった。あまりにつらいと、脳はその思い出を自己保護のためにとりはらってしまうんですね。だから30代はあまり覚えていない。それでも子供のために毎日仕事。こっちで喘息になって、死にそうになったことも。もう人生どうなってもいいやとやけになっていたときに、今の旦那にめぐり逢い。ティーンで難しかった娘のことも、1歳ちょっとの息子のことも、自分の子供のように、やさしく、時には厳しく扱って愛してくれた彼。ようやく、「これからは一人で頑張らなくてもいいんだ。頼れる人がいるんだ」って思わせてくれた人。頑張ってきたから、神様が、もういいよ、って送ってくれた人。

5年前に、彼の両親の家の裏庭で、夢の結婚式を挙げました。

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すべてが手作りの、素敵な式。今でも写真たちを見ると涙がでてくる。後で私たちのお式のブログも、問い合わせあったら書きますね。

そして今の旦那さまとも、美しい男の子、AKA親方、リアムを授かりました。

うちの男の子たち、ディランとリアムは、いつもは普通の男の子、パートタイムで、モデルしてます。NC、SCだけでなく世界で活躍しているモデル会社、Directions USAに所属しています。

娘は、もうすぐ21歳。大学でエンジニアを専攻しています。私も去年、診療情報管理士の資格をゲット。旦那様は、世界でも400人くらいしかいないという、TBE(テスト アンド バランス エンジニア)、プロジェクトマネージャー、東海岸一大きいTBEの会社で、支社を管理しています。去年、私が10年前に一人で購入した小さな家を売って、一緒にドリーム・ホームをゲット。キャリアに子育て、毎日忙しい日々。

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親バカなので子育て中心のブログになると思いますが、よかったら読んでやってください。インスタも、よかったらフォローお願いします。yosh_taki